買い物の頻度がすっかり落ち着き。
多くて週2くらいかねぇ。
今じゃ行くのも億劫っすわ。本当に。
さらに、何を作るにしても、材料が1つか2つ欠けているのが日常化。
玉ねぎのない肉じゃが、ネギと煮卵だけのラーメン、ピーマンもタケノコも入ってない青椒肉絲(別の具材入れてるよ)。
しかしながら不具合なし。
主人には、今日もあるもので作りました!っつって、それはでかした!って褒めてもらっている。
でも今月来月は、クリスマスやら年の瀬やら新年やらで、多めに食費だすつもり。
ぶりしゃぶ!
白子の天ぷら!
牡蠣!牡蠣、大好き!
ケーキもね!
ステーキもね!
さて。
今から遡ること、20年くらい前。
私が実家出る前は、肉なしカレーが週3か4、っていうのが当たり前で。しゃぶしゃぶは豚肉で食べるものだと思ってたし(超ご馳走)、白米にソースとか醤油とか(笑)。食べるものが少ない時は、母や私が食べなかった。言われたわけじゃないけど、なんとなく。いや、なんとなくってこともなかったな、弟妹達が食べれるなら私は要らないと思ったのよ。(ワタシって姉〜笑)
別にそれがフツーだったし、惨めだとも思わなかった。
社会に出て、色んな人と関わって見聞を広げて、物事の一般的なものさしを学んでいく中で、あるとき、うちはわりと食が貧しいほうだったのかも、と認識したおぼえがある。
貧しいって実感がなかっただけで、一般的に貧しいほうに分類されるんだなとめっちゃビックリした。
こういうストーリーが私の背景にあるため、私にとっての、豊かな食生活っていうのは、ちゃんとしたのでなくていいから、そこそこの味のものをお腹いっぱい食べれること、だった。
品数よりも量!
彩りよりも量!
多少不味くても量!
結婚後は量重視から、そこそこの品数を、美味しく彩りよく出す方向へと変化した。
ただし、使う具材は旬のお安い食材のみ。
傷んでる食材ばかりを食べて大人になった主人は、多少ヤバいもんを食卓に出しても、残さず食べてくれる。
そして褒めてくれる。
こうしてみてみると、今の私の食生活は、主人の評価に支えられてる側面がデカい。
金銭的にも、献立的にも、試行錯誤してご飯作って、それを相手が褒めてくれる。
格別に美味しかったり、良いものを食べてるわけじゃないけど、今の私たちは、名実ともに豊かな食生活がおくれていると思う。
食費縮小は成功、心の充実度はMAXに良い。
というわけで食費縮小実験は終了。
これ以上食費は削らず、収入を増やす方向で財を増やそうと思う。
来月から、パート時間増やすぞ!